草月流いけばな 一級師範顧問 鷲谷香明

草月とは

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誰でも何処でも何にでもいけられる。
それが草月である。

初代家元 蒼風は第二次大戦後の物の無い時代に、
それまでは花器に剣山を置いて仏間に飾るのが常識とされていたいけばなを、
急須や茶碗、ざる、瓦礫の山から拾い集めた金屑を器代わりに花をいけて人々を驚かせた。

いけ手の気持ちが込められていれば、何にだって、何処でだって、誰にだって、
花をいける事は可能なのである。

そんな信念を表現した行為だった。

自然に咲いている花の命を一度断ち切ったのだから、
自然の姿と同じ様にいけるのでは意味が無い。
それならば摘み取る事はしないほうが良い。

自然ではあり得ない、新しい姿に生まれ変わらせてこそ、
自然に咲いていた花への礼儀である。
それが草月のいけばなである。

個々が自分の感性やアイディアを持って、花に新しい命を吹き込む。
常に、新しくて美しい。
それが草月のいけばなである。

たとえ同じ花材で同じ器に同じようにいけたつもりでも、
いける人が違えば、作品には作者の個性や感性が反映されていて、
ひとつとして同じ作品とはならない。

だから、

「花はいけたら私になる」。

花は私自身である。

これが草月の思想である。
 

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